去る5月27日から6月12日までの17日間にわたって挙行された「天理雅楽ヨーロッパ公演」について,ここに報告するが,紙数の関係でその概要にとどめる。なお詳細については,後日,報告書を編集,発行の予定であるので,そちらをご覧いただきたい。
 さて,このたびの公演では,西ドイツ,オーストリア,イギリス,フランス,オランダの5カ国で,6回の演奏会がもたれた。いずれの会場でも大入満員の盛況ぶりで,ヨーロッパ人の音楽文化に対する関心の高さをあらためて実感させられた。雅楽は日本でも,天理は別にしても,生の演奏を耳にすることは難しいのだから,ヨーロッパであればなおさらのことといわねばならない。そうした好奇心がヨーロッパ人の彼らをして,雅楽の演奏会に向かわせたのかも知れない。
 今回の公演では,できるだけ正式な演奏を見ていただこうと,聞いていただこうという上から,舞楽演奏時に使用する,いわゆる管方装束を一部新調していただいた。出発直前に開催された定期演奏会で,披露された,あの衣装である(第1面記事参照)。プログラムは,いずれの会場も同内容,同順序で演奏された。
 以下,各地での公演を中心にその印象の一端を記す。
 27日におぢばをたって,マールブルグへは,28日午前10時すぎに到着。
 29日(日)に,シュタット・ハレでコンサート。このホールは席の数が700くらいだが,楽屋の部屋数の多さには驚かされた。第一回目の公演だったので,みんな緊張気味である。管絃から部が齲への装束の転換が,休憩の短い時間の間にできるだろうか,そんな心配もあった。しかし無事終わってほっとするのだが,翌朝は四時起きであるので,後片づけの後,すばやくホテルに戻って,就寝。
 5月30日はウィーンへ向けて出発。いよいよこのたびの公演の要であるウィーン芸術週間参加の日が迫ってくる。その日の夕方,午後五時から楽友協会のカマー・ザールで記者会見とデモンストレーションを行なう。管絃「越殿楽」と舞楽「賀殿急」を演奏。となりの部屋ではピアノの奇才ポリーニが練習に余念がないし,ゴールデン・ザールではウィーン交響楽団がリハーサルをやっている。さすが世界の檜舞台だ。5月31日,いよいよ本番である。ホールの響きのよさは,筆舌に尽くしがたい。リハ中だったシンフォニカーのフルート奏者がやってきて龍笛を教授・始動する一幕もあった。
 6月1日は,午前中に楽友協会に保管されている荷物を整理に出かけた。夜はTESの手配で国立歌劇場のオペラを観るものと,ゴールデン・ザールのシンフォニカの演奏会をきくもののふたてに分かれて,ウィーンの夜を満喫した。
 2日の夕刻ウィーンを離れロンドンへ。翌日代表者がロンドン大学に出向いて,ここで雅楽をやっているグループの人を対象としたワークショップ(講習会)を開く。管絃をはじめ,打物,弾物を指導する。中国製の笙や笛を雅楽器に改造して,使っている彼らの熱心な取り組みは,頭が下がる思いがしました。
 4日はBBCを訪問。同スタジオでラジオ録音。このとき持参したプログラムの曲以外に,「越殿楽」など各管の唱歌,管弦で太食調「抜頭」なども演奏。5日はブルームスバリー劇場で公演。専門家のあいだでもむずかしいといわれているこの地での演奏会であったが,現地の方々のご尽力で大成功をおさめることができた。
 6日,パリへ。ここでは7日,8日と二回の公演をする。シャイヨ劇場は,エッフェル塔のすぐ前にある華麗な建物である。公演に先立って日仏プレス協会のクリニックがあって,各楽器の説明と管絃「陪臚」と催馬楽「衣更」,舞楽「太平楽」の一部を演奏,その後質疑応答があった。フランスではパリ出張所の方々にたいへんお世話になった。空気が乾燥しているので,演奏後は喉が渇く。楽屋に用意されていた日本茶や「水」は,たいそうありがたかった。
 9日,パリをたって最後の目的地アムステルダムへ。鎮西布教所の方々の心のこもった夕食をご馳走になる。生のニシンにはちょっと閉口…という人もあったが。
 演奏会場のトロッペン・ミュージアムは,立派なホールをもっていて,同国の旧植民地を中心としたアジアの音楽や舞踊などを紹介する催しが,頻繁に行われているようだ。12日,ここでいよいよ最後の演奏会。それにふさわしい,いい演奏だった。

 *「天理雅楽ヨーロッパ公演を振り返って」(『あらきとうりょう』第152号所収)も
   参照ください。
天理雅楽ヨーロッパ公演 
         “雅の芸術”ヨーロッパに舞う 大きな成果収め,帰国
雅楽部報 《昭和63年7月26日 第92号所収》
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