かつて「世界の民族音楽」という番組があったのを覚えておられるだろうか。NHK・FMで朝六時過ぎから,週に一回,放送されていた。わたしは,毎週楽しみに耳を傾けていたものの一人である。
 今ここで紹介しようとしている本の著者はこの番組にレギュラー出演していた人物である。この番組だけでなく,マスコミには頻繁に登場していたので,声を聞き,顔を見れば誰もが分かるだろう。この欄でも紹介したことがある。出直されてもう二年になる。
 氏の遺稿の纏まったものとしては,おそらく最後の刊行物であろう。

 この本の大きな特長は,普通この種の本では暗黙の裡に例外視され,除外されるヨーロッパの音楽も扱われていることである。そして各章ごとに,関連テーマとのクロス・レファレンスが註記されているいる点も見逃せない。しかし内容は,十年も前に書かれたものとは思えないぐらいに新しい。

 この本の構成は,序章も含めると九つの章から成っている。もともとはNHKブックスに収められる予定で準備されていたらしい。民族音楽学の入門的知識を扱った概説書を意図していたようである。もう十年も前のことである。

 まず,序章は「日本人の音楽的底辺」でわれわれ自身の音楽を見極め,「南米に移住した日本人を」調べた結果として,「日本人は言語能力や生活能力はともかく,音楽的には消極的で,ややもすればまわりの人たちの音楽性に圧倒されてしまい,自分たちのオリジナリティすら保持することがむずかしいということを特長とせざるをえない」と述べて,海外における日本人の自己主張のなさを指摘している点が,特に興味深かった。

 次に第二章では,日本の周辺に目をやり,「東アジア・極北の隣人たち」と題し,韓国音楽のリズム,中国音楽の伝統,「エスキモー」の音楽について論じられている。

 今度は目を東南アジアに向けて,インドネシア,タイ,そしてフィリピン,台湾の先住民の音楽,さらにスリランカ,アイヌ,沖縄の音楽についても興味深く論じられていく。

 第四章の「インド音楽の理論と実践」では著者がかつて留学した経験もあるから,とくに詳細にで専門的な内容になっている。

「西アジアの古さ,新しさ」として第五章では,ペルシャ音楽の四分の三音のこと,音楽的にも東西の中間にあって両者のかけ橋的な音楽,東方音楽についてもここで論じられている。

 第六章の「ヨーロッパに残る民族音楽の息吹」では,ドイツ,フランス,イタリアが音楽の中心であるとする一般的な狭い考え方を廃し,東ヨーロッパ,北欧,南ヨーロッパと四つに別けて論じられる。
 またわれわれにとって,最も親しみの薄いアフリカの音楽についても,一生を設けて説明されている。

 最後の第八章では,「新しい大陸,広い大洋」では,南米のインディオ,黒人の音楽について,さらには,アメリカ音楽界の現況が紹介され,オセアニアの国々の音楽について論じられている。
 以上,章を追ってその内容をみた。そこで明らかなように,語られている事柄は,生前に出版された著書で発表されているので,特に目新しくはない。

 しかし,全体の構成として,世界のどの地域の音楽についても扱われているので,民族音楽の基礎的な知識を得るには,もってこいの本といえるだろう。
【図書紹介】  小泉文夫『民族音楽の世界』(NHK出版)
雅楽部報 《昭和60年12月26日 第76号所収》
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