はたしてうまく行くのだろうか。だれもがこの企画にこう思い,ためらいを禁じ得なかったのである。
 思い返せば,こうした企画の発端は,本紙57号掲載の守目堂主人稿の「世界の音楽のおぢばがえり」と題するエッセイにある。これが形を変えてこの度の企画となったわけである。
 当初心配されたのは,年祭期間中にはたしてどれだけの出演団体が応募されるか,もし少なすぎた場合どのようにしてそれを補填するか,ということであった。しかし,この心配は杞憂に終わった。予想以上の延べ50団体を越える応募があったからである。
 さて,こうして連日の演奏会を終えて,まず想うことは演奏内容の充実ぶりである。どの団体も演奏技術が以前に較べて著しく向上したことである。とくに〈管絃〉の演奏がすばらしくなった。お道の雅楽の将来を考えるとき,たいそう明るい材料といえよう。
 また特筆せねばならないような話題も多くあった。それらをいくつか紹介しておこう。
 2月10日,11日の2日間に,和南布教所,三淡分教会,櫻井大教会,大津分教会の少年会員が平調「越殿楽」「五常楽急」,太食調「抜頭」を演奏した。緊張した雰囲気で,大人顔負けのフレッシュは演奏で,これも将来のお道の雅楽を考えるときに明るい話題である。
 昨年募集した新曲のうち優秀作に選ばれた3曲が初演された。1月29日に森下弘義氏の「陽春楽」と川村弘氏の「無題」が,2月7日には吉本喜作氏の「曙音」が音楽研究会雅楽部によって演奏された。「曙音」は作曲者自身が演奏したので問題はなかったようであるが,それ以外の曲は作曲者の意向を充分聞けなかった。この点やむを得ないことではあたが,これからは考えるべきであろう。
 また,めずらしい曲も披露された。2月7日の愛光布教所による「五節舞」である。十二単で着飾った4人の女性による優雅な舞いは,観衆を魅了したものであった。1月28日の明和大教会の二人の舞人による「還城楽」もおもしろい試みであったし,1月30日の東愛大教会の平調「越殿楽」も,通常の管絃の編成に加えて,自作の大篳篥を使って黄鐘調の「越殿楽」のメロディーを奏でさせるなど,新しいアイデアを盛りこんだ演奏もあった。
 それぞれ各団体によって,取り組み方が違っていた。服装ひとつとってみても,伶人服あり,ハッピありであった。その点も興味深かった。
 舞台マナーについて気になる点があった。それはこうした演奏会に,多くは馴れていない,ということが大きな原因であるものと想われる。その上から考えれば,こうした演奏会をたとえば大祭期間中に実施できれば,各団体とも出演回数が増えて,舞台でのマナーももっと向上するものと想う次第である。
 因に今回の雅楽一手一つの延べ入場者数は5023人であった。プログラム制作や部隊の設置,曲の決定が遅れた等,問題もあったが,全体としては成功裡に終わらせていただいたといえるだろう。期間中,毎日演出台本を書き,実際の演出もほとんど1人で駆け回ってくれた植田裕明氏の労を犒ってこの稿を終えたいと想う。
 教祖百年祭“雅楽一手一つ”に想う
雅楽部報 《昭和61年3月26日 第79号所収》
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