古代日本人にとって「コト」すなわち和琴が,神とのコミュニケーションの道具として重要な意義をもっていたことは,本紙11号「日本の絃楽器」でもふれたところでる。

 その時,「古事記」に載っている次のような神話を一つの例として示した。「オオクニヌシがスサノオノミコトに追われて逃げる時,太刀と弓矢のほかに『コト』をもって行く」と。
 もし,この「コト」が今日の和琴のようであるとするならば,かなりかさばるので,持ちきれないと想像できる。

 ところで,『天地』の今月号(79年7月号)に興味深い文章がある。それは本部西礼拝状から出土した「やまと琴」に」ついて,天理参考館の生田紀明氏が書かれたものである。

 その琴は,奈良朝時代のものらしい。全長が45センチメートルというから,現在のものよりはるかに小さい。オオクニヌシが持って逃げたという琴は,これであったのだろうか。

 和琴の歴史をみてみると,少なくとも三回の変遷を見ることができる。
 仁明天皇(833〜879年)の前後に,楽制改革があった。この時,それまで使用されていた雅楽器の整理統合がなされたという。朝鮮系の音楽と日本古来の伝統音楽に,中国系の楽器を使うように改められたのである。どうもこの時期に今日のような和琴が形づくられたようである。

 奈良朝以前の琴は,群馬県で出土した埴輪「弾琴男子像」や,有名な登呂の遺跡で発掘された和琴の実物などからわかるように,かなり小さい。膝の上に乗せて演奏できるぐらいの大きさである。この琴は五絃である。オオクニヌシが持って逃げたのは,おそらくこの種のものであろう。

 布留の遺跡から出土した「やまと琴」は,六絃であるという。現在のものも六絃であるが,大きさが違うので,この間に一度改良されていると考えられる。ちなみにこの時朝鮮の玄琴が参考にされただろうと言われる。

 いつ,六絃に変わったのかは,今のところわかっていないという。布留遺跡の「やまと琴」の材質等が鑑定されれば,この時期が判明するかも知れない。

 やまと琴を考える  和琴の歴史
雅楽部報 《昭和54年6月26日 第15号所収》
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