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 西洋音楽には,「移調」という術語がある。
 いわゆるクラシックの場合,作曲者は調性やその他もきちっとした指定があって,勝手に変えることは許されない。たとえばベートーベンの第五シンフォニーはハ短調であって,演奏されるときは,この調以外では考えられない。
 ところが歌曲などでは,歌手の声域に応じて「移調」する場合がある。また器楽曲でもピアノ曲を管弦楽曲に編曲する場合,あるいはある曲を本来指定されている楽器とは性能や音域が異なった楽器で演奏する場合などに「移調」が行われるという。
 しかし,音楽自体は平均率化されているので,それをきくわれわれ素人の耳には,微妙なニュアンスがちがっても,やはり原曲として聞こえるし,それはあくまでも原曲として扱われることも当然であろう。
 ところで,雅楽にも西洋音楽の「移調」に類する術語がある。「渡物(わたしもの」というのがそれである。
 渡物の場合,ふつう呂旋はあくまでも呂旋へ,律旋は律旋へというのが原則のようである。《黄鐘調(水調)の鳥急は例外であろうし,太食調のそれもみあたらない点,さらには高麗平調の林歌なども特殊な例であると考えられる。》
 たとえば,壱越調の曲が双調にわたされる。あるいは盤渉調の曲が黄鐘調(あるいはその逆)にわたされる。前者の場合として,賀殿,迦陵頻(鳥),春鴬囀,酒胡子,廻盃楽,武徳楽,胡飲酒,陵王,新羅陵王,北庭楽であり,後者の場合は青海波,千秋楽などである。越殿楽の場合は,原曲が盤渉調で,黄鐘調にも,そして平調にもわたされていることは周知のことである。そして平調のものがもっともポピュラーになっているのである。
 ところが,西洋楽器の場合と異なって,雅楽の場合,演奏される時,全く別の曲として扱われるし,曲自体も初心者が聞けば全く別の曲として聞こえるだろう。
 箏の場合,調絃はかえるが,弾き方は全くかわらない。その点から考えれば,その原因は,旋律楽器である龍笛,篳篥の音域に関係あるのだろう。
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 天理大学雅楽部O・B会である「おやさと雅楽会」による盤渉調胡飲酒(舞楽)がかつて試みられたことがあるが,この「渡物」の技法を使った新しい試みはどうだろう。
「移調」と「渡物」  国立劇場第二十五回雅楽公演
雅楽部報 《昭和54年5月26日 第14号所収》
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