五年くらい前に,香港・台湾に行った時のことである。いわゆる国楽を見聞し,その優雅で美麗な音に魅せられた。とくに胡弓の透明な音色は,いかにも中国らしい雰囲気をもっている。その楽器の種類の多さにも驚かされたものであった。
 胡弓は弓でひく。西洋のバイオリン族と同様である。韓国でも箏を弓で弾いているのを見た。日本ではどうだろう。胡弓はあるが,それ以外に弓でひく楽器は思いあたらない。
 日本の胡弓は,中国伝来説,キリシタン禁圧の時代に弾圧を逃れるため,ラベイカを日本の楽器に模したという変形説等,その起源は明確でない。しかし,弦を弓で擦って音を出すことは容易に想像しがたいことで,モデル・原形があったと考える変形説が有力であるという。(吉川英史「日本音楽の歴史」創元社)
 もともと日本には擦弦楽器の伝統はない。「ゲン」といえば,「弾くもの」「つまびくもの」であるというのが我々の感覚である。雅楽で「カンゲン」を「管絃」の字を当てているのは,その意味で注意すべきである。
 弦を弓で擦って出す音はバイオリンなどを連想すると,持続的で,強弱も微妙にコントロールできる。 一方弾絃楽器はその利点は勿論であるが,一つの音を長く伸ばすことは不可能だし,たとえば強弱の表現能力では擦弦楽器に劣るものと考えられる。
 ところで,現在の雅楽ではメロディは,いわゆる「吹物」にまかされている。日本の雅楽とその源が同じであると言われている中国や韓国の国楽では「ひき物」にもその役割が与えられている。もともと雅楽でも「絃」が複雑なメロディーを奏していたものと考えられるが,現在は音取等以外は,リズム楽器といってもまちがいないだろう。
 大陸から諸々の楽器が伝来する以前の日本には「コト」,「フエ」「ツヅミ」等の楽器があったといわれている。なかでも「コト」,すなわち和琴が重要である。「古事記」の中で,オオクニヌシがスサノオノミコトに追われて逃げる時,太刀と弓矢の他に「コト」をもって行く。古代日本人にとって,それは神とのコミュニケーションの道具として大切であったことを物語っている。あのカラっとした,底抜けに明るく,澄み切った音を聞くとき,彼らの考え方も納得できる。
 この和琴の音にこそ,日本人の音に対する感覚の源泉があると思う。まさに,それは琴線にふれる音である。中国,ヨーロッパの擦弦楽器志向と全く趣を異にしているのである。現在,三曲でも胡弓の使用が稀なのは,そんあところに原因があるのではなかろうか。
日本の絃楽器  日本には擦弦楽器の伝統はない
雅楽部報 《昭和54年2月26日 第11号所収》
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