西洋音楽と雅楽の間  もっと多くの試みが…
雅楽部報 《昭和54年1月26日 第10号所収》

 日本に雅楽が輸入されて,平安時代に入ると,日本人が自らの手で作曲し,舞をつけるようにあり,九世紀に本格化した。現存の「西王楽」や「十天楽」「長慶子」など,また「拾翆楽」などもこの時代につくられたという。

 これらの曲を作った人達は,勿論自らも雅楽に何らかの形で携わる人々であって,外国の音楽であった雅楽を,日本人としてマスターしたからこそ作曲まで出来るようになったといわねばならない。
 こうして雅楽は日本の社会の中で,とくに貴族と密接な関係を保ちながら,日本風にソフィティケートされ,今日に至っている。
 ところで,明治以降になると,西洋音楽が輸入されてくる。現代においては,われわれが日常生活で聞く音楽のすべてが,これである,といっても過言ではなかろう。

 このような西洋音楽と雅楽の間には,ある種の隙間が感じられるが,そこに新たな音楽的創造活動のメスを入れる作曲家が出現してきている点は見逃せない。

 それには,二つのアプローチがある。一つは雅楽畑からでり,もう一つは洋楽畑からである。前者の代表は芝祐靖氏であり,後者は武満,石井,黛,伊福部の各氏らである。両者ともそれぞれもち前の特性を各々の新曲で発揮していると思う。

 われわれのように,とちらかというにと雅楽畑にいる人間からは,芝氏の曲は非常に親しみやすく,洋楽畑の各氏の曲はとっつくにくい念がある。しかし,これも一概に言えないとと思うが,雅楽からその新しさを抽出するという意味においては,洋楽畑の人達の曲の方が評価されると思う。一方洋楽畑の人の創作曲は,楽器の使い方等に無理があり,演奏者の技量が相当の部分をカバーしている感じがする。(これも一概に言えないが)

 こんな状態にある現在,もっと多くの試みがなされていいと思う。とくに雅楽畑からのアプローチは,洋楽畑のそれに比して,量的にも少ないように思われるし,表現の記譜法等にむずかしい点があるが,その内容においても貧弱な場合が多い。

 平安時代に日本人による雅楽の創作曲ができ,さらに催馬楽,朗詠のような新しい演奏形態も生まれた。その時代の画期さが現代に求められる。

 雅楽を愛好するわれわれも,もっと他の音楽を聞き,味わうべきでは。
〈戻る〉
〈戻る〉